■ A MIRACLE FOR YOU 2 ■ |
(2) ――とはいえ。 「もー、オッチャン。そろそろギブアップしてよ。ねえー」 ぜいぜいと肩で息を付きつつ吐いた台詞は、どうにも情けないものになってしまった。 電話の蛮の声に、元気も勇気も100倍で奮起したものの。 かれこれ、トータルで小一時間もこんなバトルが続いているのだ。 いい加減、こちらの方がギブアップしたい気分だ。 「ええいっ!」 「ぐお」 電撃を放ちながら、渾身の蹴りを菱木の胸元に決め、銀次が空中で一回転してひらりと地に降りた。 まだかろうじて膝をつくところまではいかないが、それでもかなり消耗が激しい。 それは相手も同じだと思うのだが。 しかし、そこは並大抵ではない体力の持ち主だけあって、もういい加減にダウンしてくれと思うのに、銀次の願いむなしく菱木は仁王立ちのままだ。 その足の下から、地に根でも張っているのではないかと疑いたくなってくるほど。 それでもまだ泳ぐには早すぎる季節の海に落下したのは、多少なりとも彼のダメージにはなっているらしい。 時折の大くしゃみに驚かされつつも、その間にいい具合に隙が出来る。 もっとも、ついでに電気の通しもよくなるかな?というアテは、さすがに見事にハズれたけれども。 銀次がちらりと腕の時計を見る。 時刻は、既に23時を回っている。 ヘヴンは、卑弥呼と連絡がついているだろうか。 そろそろ、タイムリミットだ。 「運び屋」に本日中にブツを受け渡し、「奪還屋」としての仕事を完了させるというのが、依頼人との間に最初に交わされた”条件”なのだ。 …しかし、まあ。 この件に関していうなら。 いろいろ実は、奇妙なこともある。 銀次としても、そこは大いにひっかかっりどころでもあるのだが。 だがそれでも、一番意義を唱えそうな蛮があっさりとのんだのだがら、それはそれで意味のある事なのだろう。 それにしても、あの時に依頼人ときたら――。 どちらにせよ。 その条件をのんで仕事を受けた以上、何があってもやり遂げなければならないのがプロだ。 蛮の方が、どういう経緯で赤屍とやり合うことになったかは定かではないが、とりあえず相棒の目の前には、既にブツを手渡すべき目的の「運び屋」がいる状況だ。 後は赤屍を、仕事をする気にさせれば良い。それで仕事は完了する。 (まあ、そのあたりが一番問題なのだろうが) だが、こちらはともかく、未だ「運び屋」たる卑弥呼と連絡すらつかない状況なワケで…。 銀次が内心焦りつつ、そう思った途端。 それに答えるかのように、ジャケットの中で携帯が鳴り響いた。 菱木を牽制しつつ、慌ててそれを片手で取って開く。 ”銀ちゃん?!” 「ヘヴンさん!」 聞き慣れた声に、銀次の表情が僅かに緩む。 ”あーよかったぁ。連絡ついて! あ、やっと、レディポイズンがつかまったわよ! なんでも、敵の後つけてたら地下鉄を延々乗り継ぐ羽目になっちゃったとかで…。それで携帯が繋がらなかったみたいなの” 「ああ、そうなんだ。でも、ともかく卑弥呼ちゃん無事でよかったぁ」 本気で安堵した様子で、尖っていた肩を落とす。 まさかとは思ったが、万一何かあったらと心配でしようがなかったのだ。 ”ええ! ともかくすぐそっちに向かってもらうから!” 「うん、わかった!」 ”ところで、今、どこにいるの!?” 「ええっと…。おわあっ!」 あたりを見渡そうとした瞬間に飛んできた菱木ほ巨大な拳に、寸でのところでそれをかわし、銀次が牽制の電撃を放つ。 勢い余って電話を持つ左手まで帯電し、自分で思わずぎょっとなってしまった。 「のああ、電話壊わしちゃうったら!」 ”はあ?!” 「あ、いや、コッチのことなんだけど。っていうか、ヘヴンさん。それ、オレに聞くのって…」 ”…あ。銀ちゃん、そういや迷子常習犯だったっけ” 迷子の一言に、銀次が思わず情けない顔になった。 そして、そのままガンガン拳を繰り出してくる菱木を避けつつ、徐々にじりじり後退する。 「ま、迷子ってねえヘヴンさん! うわっ! ああ、えーっと、ともかく港の方にいんだけど。けどもう、あっちこっち真っ暗でよくわかんなくて。地名でも書いた看板とかでも見つかればいいんだけど…」 ”あぁん、困ったわねえ。じゃあ、何か目印になるような建物とかって、そばにない!?” 「め、目印、といわれても…。んああっ、オッチャン! 人が電話してる間くらい攻撃してこないでってば!」 ”えー?何ってー?” それでもお構いなしに、ブンブンと腕を振り回してくる菱木に、それを避けつつ銀次が半ばヤケクソ気味に叫んだ。 「ああもう、だーから! 待ってってば!」 ”それが待ってらんないのよ、銀ちゃん! もう時間がさー” 「いや、ソッチはわかってっから、ヘヴンさん! えーっと」 ヘヴンの言わんとしている事は、自分だって十分承知している。 心の中でさらに焦りつつも、ぐるりと周囲を見渡していた銀次は、ふいにある一点で驚いたように視線を止めた。 ――あ。 驚いた瞳のまま言う。 「あれって、観覧車…かな? 暗いから、よくわかんないけど」 ”観覧車? ――ああ” 「わかんの?」 ”近くに水族館みたいなの、見える?” 「うーん。よく見えない」 ”そうー。ま、でもたぶん間違いないわね。じゃあ、そこ向かって今すぐ! レディポイズンには私から電話いれるから! ともかく急いでね、銀ちゃん! じゃ!” 「え、あの、ヘヴンさん! ちょっ…」 一方的に切られた電話に叫ぶのとほぼ同時に、前方から、カバか鯨の大くしゃみにでも見まわれたような何ともいえない空気の震動がやってきた。 「ブエェ――――…ックション!」 「うわっ」 飛沫を避けつつ、銀次がくしゃくしゃになる菱木の顔に、思わず苦笑する。 「ブエェ――ックシュ! ブワックショーン!」 「ああもう、オッチャンてば! くしゃみまで豪快だねー」 だけども、これはまたとないチャンス。 銀次が思わず、携帯をポケットに戻してにっこりする。 そして、長らく電話待ちさせた間に身体が冷えたのか、くしゃみの止まらなくなった菱木に銀次が向かい合った。 片手を上方にかざし、もう一方の手をまっすぐに伸ばした腕に添える。 にっこりと笑う顔は、無邪気だけれども不敵さもあった。 「んじゃあ、オッチャン! ちょっともうオレ、相手してる場合じゃなくなっちゃったから。 もう行かせてもらうね――。なーんかこのワザ、ネーミングいまいちで叫ぶの恥ずかしいんだけど…。ま、しゃあないよね。そんじゃあ、行くよ!! スーパースペシャルミラクル雷帝フラ――――ッシュ!!!(長っ!!)」 銀次が叫ぶなり、上空に打ち上げられ拡散された電撃が、まるで花火のような強い白い閃光で周囲一帯を包み込んだ。 目眩ましを使って菱木の視覚を奪い、その間に一目散に観覧車に向かって走り出した銀次は、そこに到達する以前に、空いた道路を猛スピードでこちらに向かってくるサイドカーに出くわした。 キイッとタイヤが鳴って、それが目前で停車する。 メットのゴーグルを上げるなり、飛んできたのは叱責だった。 「ちょっとアンタ! 今までいったいどこにいたのよ?!」 「卑弥呼ちゃん! 早かったね! ってか、よくオレのいるとこわかったねー」 「どこにいたってわかるわよ! あんなに派手にフラッシュやらかしちゃあ」 「あ! そっか、へへ。でもともかく、卑弥呼ちゃんが無事でよかったよ」 「なーに言ってんのよ! あんたがちょっと様子見てくるって行ったきり、ちっとも帰ってこないから! こっちは、ヤツらが車使って移動するのを一人で追いかける羽目になっちゃってさ。それも途中で車降りて、地下鉄のホームなんか降りてったりしたものだから、慌てて追尾香振りまいたはいいけど、サイドカーの置き場に困ってるうちに見失って。追尾香の匂いで追いかけてたら、なんだか地下鉄を延々乗り継ぐ羽目になっちゃうし、もうさんざんだったんだからね!」 「あ? そうなんだー」 「まったく! アンタがいたら、とっとと地下鉄の尾行任せられたのに! 使えないんだから!」 「ええっ、オレのせい〜? あ! でもコッチは、卑弥呼ちゃんが敵の陽動作戦にのっててくれてる間に、ばっちし奪還したよ、例の手帳! ハイ」 ”陽動作戦”という台詞に、思い切り渋面を作りながらも、卑弥呼が差し出された手帳を受け取る。 確かに、これが敵の策だということは、かなり後になってから気がついたけど。 そういう思いもあって、言葉の勢いが一気に萎む。 「…仲介屋から聞いた。まあ、とにかくよかったけど」 仏頂面で受け取る卑弥呼に、それでもほっとしたような笑顔で銀次が言う。 「んじゃ、後は頼んだよ!」 「ええ。わかったわ」 「あ、赤屍さんの方は?」 「ああ。蛮と遊んでたみたいだけど。時間が来たから仕事に戻ったみたいよ」 「そっか。…って、あれって遊んでたの?」 「暇潰しがしたかったんじゃない? ジャッカルにとっては、退屈な仕事だったろうから―― じゃ、手帳は確かに」 「うん! あ。オレも蛮ちゃんと合流したら、すぐ後追っかけるよ。敵サン、まだ諦めてないかもしんないし」 言って、パン!と右手の拳と左の手の平を打ち鳴らす。 卑弥呼がサイドカーを降りないまま手帳を身につけると、ゴーグルを下ろしかけ、ふいに不思議そうな顔になった。 「え? アンタたち、明日の夜まで東京には戻らないんでしょ?」 「へ?」 「蛮にそう聞いたけど」 「はい?」 「あっと時間! じゃ、行くわ!」 「あ、うん。じゃあ」 サッと片手と上げて、ゴーグルを下ろし、卑弥呼がサイドカーが発進させる。 それは、瞬く間に速度を上げ、夜の道路を猛スピードで疾走していった。 それを見送り、取り残された銀次が小さく息を落とすと笑みを浮かべ、空を見上げる。 そして、ぐぐっと夜空に向かって大きく伸びをした。 「さて――と。とりあえず奪還成功! だよね。蛮ちゃん」 街灯の下、腕の時計を見る。 23:46 まあ、ぎりぎりだったけれど、約束の時間はなんとか守れた。 その事に心からほっとしつつ、これから、さてどうしたものかと考える。 とにかく蛮と連絡を取って、ここまで迎えにきてもらわねば。 アシもないことだし、こちらからは動きが取れないし。 そう考え携帯を開いた途端、銀次の口から出たのは、あれえ?と気の抜けたような声だった。 「電池切れ…デスカ」 完全にバッテリー切れ状態の携帯電話を呆然と見つめ、銀次がガク〜ッと脱力して溜息をつく。 「やれやれ。なーんか、踏んだり蹴ったりってカンジ」 こぼしつつ、また溜息が出てしまう。 まいったなぁと思いながらも、ふと目に入ってきた大観覧車をそのまま見上げた。 もうすっかり明かりも消えて、当然動いてもいないそれに、それでも妙に興味を惹かれる。 あれに乗って周囲を見渡せたら、蛮の乗るてんとう虫も見えるだろうか。 なんて有り得ないことを思いつつ、手近にあった階段を昇る。 階段を上りきると、そこは2階部分がイベント広場のようになっていて、水族館と思しき建物とマーケットプレイスに直結していた。 観覧車の乗り場は、その一番端だ。 もっともそこまで歩いたからと言って、実際に観覧車に乗れるものでもなかったから、銀次は結局辺りを見回すと、建物を背に広場の片隅に腰を下ろした。 あー。 おなかすいた。 すっかり忘れていたが。 ゆうべから、ろくに何も食べていない。 胃が超空腹を思い出して、くう〜と情けない音をたてる。 しかし、それを宥めるものが今は何1つない。 上着のポケットには千円札が一枚と小銭があるが、一人食べ物を買い出しに店を探しに行こうという考えは、銀次の頭には浮かんでこなかった。 なぜなら。 今の自分の置かれている状況を冷静に考えると、明らかにこれは”迷子”だ。 ”迷子”になった時、むやみやたらとその場所から動き回るなと、今までさんざん蛮に叱られてきた。 相手も探してくれてるんだから、自分も探した方が早いだろうと、ついついじっとしていられなくて、それで歩き回ってしまうんだけど。 確かにそれでは、余計に埒があかないことになるのだと、最近になってやっと学習してきた。 それに、さすがに今はその元気もない。 とても、眠い。 ターゲットを求めて走り回った後に、菱木との長丁場なバトルは相当こたえたらしい。 坐り込んだ途端に睡魔が襲ってきた。 だけど、ここで寝るのは、いくら何でもちょっとやばいよね。 思い、眠気をさますように首を軽く振るが。 それでも瞼は、やっぱり重い。 ここにいることを、ヘヴンか卑弥呼から、蛮に伝えてもらえただろうか? ともかく蛮の方も、赤屍との”遊び”が終了したのなら、銀次を拾って帰るだけなのだし。 探してはくれるだろう。 が。 ――まてよ、と思う。 あ、でも、明日の夜まで帰らないって。 何か、コッチで用事とか約束、あんのかな? もしかして、それが済むまでオレって迎えにきてもらえないのかな。 だったら、おなかすいたままで、ずーっとここにいないといけないのかな。 うわー。それってちょっと最低かも…。 それに…。 思い出すなり、胸がぎゅっと切なくなった。 ――オレ、今日、誕生日だったんじゃん。 結局、そんなこんなで、誰にも”おめでとー”っていってもらえなかったケド。 まあ、いいや。 しようがないもんね。 それどころか。 蛮ちゃんの顔さえも、一度も見られなかった。 それが、 ちょっとばかし、寂しいけど。 …しようがない。 しょうがないよね、お仕事だもん。 でもどうせだったら今日中に奪還終了なんかじゃなくて、もっとゆっくりやらせてくれたらよかったのに。 そうしたら、ヘトヘトになりつつも、まだまだ菱木のオッチャンと戦ってる最中だったろうし。 そうしたら、いつのまにか日付も変わっていて。 誕生日だったことも、自分の中でうやむやにできたから。 そんな日じゃなかったら、一人になってもこんな風に妙に落ち込んだりもしなかったはずだ。 「へへ…。なんだろ。どうしたんだろ、急に…。オレも、もしかして、電池切れってヤツかな?」 小さく呟いて、急に寂しくなってしまった自分に言う。 両の膝を腕で抱え込むようにした。 身を丸める。 遙か過去に、あたたかな水の中で、そうやってぽかりと浮かんでいた自分を思い返すかのように。 もともと。 誕生日っていうのは、オレにとって。 今までずっと、そんなに楽しいものでも嬉しい物でもなくて。 無限城にいた頃も。 カヅっちゃんや士度たちが、密かに祝ってくれたりもしたけど。 嬉しいよりは、なんだか苦しくて。 この世に生まれ落ちて、オレは歓迎されたんだろうか。 本当に生まれてきてよかったんだろうか。 本当は生まれてこない方が良かった子だから、オレの親は、オレをあんなところに捨てていったんじゃないだろうか。 無限城に捨てられる前の記憶が。 オレにはないから。 余計に、そんな風に思えてしまう。 もしかすると、誕生日っていうのは――。 オレが生まれた代わりに、誰かが不幸になった日なのかもしれない。 この日、オレは、誰かを不幸にしたのかもしれない。 そう、たとえば―。 たとえば、オレの”おかあさん”とか――。 両手に抱えた膝の上に置いた銀次の頬が、苦しげに歪む。 目尻が、微かに赤みを帯びる。 涙が滲みそうになるのを、必死で堪えた。 ずっと考えまいとしてきたことだけど。 一旦、考え出すと底がない。 …胸が苦しい。 苦しい、よ。蛮ちゃん。 「蛮ちゃん…」 ”4月19日はな。オレにとっちゃ、GetBackersの”s”の意味をくれた、最も重要度の高ぇ日なんだよ” 蛮ちゃんは、以前にオレにそんな風に言ってくれた。 だから、一緒に祝わせろや、と。 蛮ちゃんがそう言ってくれた年から、誕生日はオレにとって。 一年に一回、本当に生まれてきてよかったんだよね?って、確認する。 そんな風に大切な日になった。 だから。 やっぱ、一緒にいてほしかった。 他の誰でもなく。蛮ちゃん以外の誰かじゃなく。 蛮ちゃんに。 そばに一緒にいてほしかった。 ケーキも、ロウソクも。 なんにもいらない。 プレゼントも、誰からも欲しくなんかない。 ただ、蛮ちゃんがいてくれたら――。 ほかには何もいらないのに。 銀次は、唇と噛みしめると、ぎゅっと両手で強く膝を抱えた。 明かりのない観覧車は、重く空に突き刺さる鉄の固まりのように、黒く銀次の上に影を落としている。 あと数分で、誕生日の一日が終わる。 銀次は、それを心待ちにするかのように、じっと腕の時計を見つめた。 デジタルの数字は少し、涙に滲んでぼやけて見えた。 TOP < 1 > 3 |